yamamichi_makuraの日記

にんげんしりしり

京アニのこと

 いろいろ考えていたことはあったけどそうえばこんなブログあったなと思い出したかのように書いてみます。

 本日11月3日、先の放火殺人事件で亡くなられた方々のお別れ会が開かれたとニュースで目にしました。

 僕自身は好きなアニメ映画を一つ挙げろと言われたら真先にたまこラブストーリーが出てくる程度には京アニ作品には思い出があるし、何より、僕の地元である埼玉県の鷲宮を盛り上げてくれたのは他ならぬ美水かがみ先生とそのらき☆すたのアニメを制作した京アニさんでしょう。それだけに、武本監督の訃報はかなりショックでした。神社で弔いをしていいかよくわかりませんが、帰省中例のらき☆すた神社まで行ってご冥福を祈ったりしていました。

 僕は活字中毒のきらいがあり、映画の本編が終わりクレジットが流れているときにスタッフロールを舐め回すかのように眺めるタイプなのですが、その時によく裏の制作スタッフのことについて思いを馳せたりなどします。「映画の制作秘話」みたいなのはとても好きですし、ディズニー映画やドンキーコングのクレジットの茶番によくあるNG集みたいなやつも大好物です。なにを書いているのか良く分からなくなってきましたが、要するに映画本編だけではなく、その裏側のスタッフやその遊び心を含めて作品を好きになるということが僕にはよくあります。楽しんでいる人の仕事を見ることは非常に気持ちのいいことでしょう。

 特にこのような点において京アニは社員の生活を第一とし、人を大切にする会社であると聞き及んでいます。以前マッドマックスのアニメーターが過労死したというニュースがありましたが、このようなニュースを知りアニメを見ると、クレジットで「このスタッフたちはちゃんと食べられているのかな」と勝手に心配してしまいます。他人の犠牲の上に立ってまでアニメを観たくはありません。

 さて、こんなことを書くのはアレなのですが、正直な話、僕はどのくらいの距離感で事件の犠牲者に思いを馳せればいいのかが未だに掴みかねています。「辛いことを忘れるから人は生きていける」なんていう言葉はよく目にしますが、一方的に密かにリスペクトしていた人達の死を忘れては失礼にあたると思いますし、かといってあまりに肩入れしすぎても病んでしまいます。実際、事件から1ヶ月くらいは期末テストがあったにも関わらず気が気でなかったし、Amazonプライム京アニ作品を目にするたびに思い出して暗い気持ちになっていました。今は普通に犠牲者を偲びながら観ることができますが、このような事件において、忘れることと立ち直ることの区別が自分の中で出来ていないのです。

 昔の知人の死を知れば、葬式に出て、参列者と共に思い出を語らい、霊柩車を見送って気持ちの整理の付けようもあると思います。しかし、名前はスタッフロールでおそらく目にし、そして何よりもその任意の作品に確実に関わっているであろう方々の死に対する悲しみかたや弔い方が自分ではわかりません。名前も確かに目にしたことがあるだろうし、密かにリスペクトしていたし、かといって顔や性別、人柄までは知らないし自分は唯の一個人ファンだし、と距離感が掴めません。京アニスタッフの死として悲しんでいるのか、それとも一人一人の個人の犠牲者として悲しんでいるのか、もし前者であれば失礼に当たるのではないかなど色々考えますが結局堂々巡りで終わってしまいます。

 

 まあ色々書きましたが自分に出来ることなんて精々アルバイトの給料の中からやり繰りして無理しない程度に募金することです。あまりに無理するとグッズやブルーレイを買うお金がなくなりますから。